#らむ太「どうして、とおくにいる人は小さく見えるの?」さて、どう説明する?
#というか、遠くのものが小さく見える、というのは、あるスクリーンに投影して言えることなので、カメラとかの映像デバイスを見慣れてないとそうは思わないのではないか、という気もする。
#本人は、ペットボトルでロケットを作って、紙で10円玉くらいの地球を切り抜いて後ろに置き、ろけっとごっこをしつつ、「ちきゅうはとおくにあるからちいさいんだよ」と説明している。そういうのは映像を見て覚えたんだろうなと思う。
#「小さく見える」って結構意識してそうみないと難しくないですか?。うす目でみるというか、空間って言う概念を頭から意識的に消し去らないと、というかなんというか。中学校のころ美術の授業でパースの勉強したときに「遠くのものは小さい」って言われて「いや、大きさは変わらないでしょ」と心の中でつっこみ入れた記憶が蘇ったり。
#なんか、見たものをパッと画像化できる特殊な才能でもあるんだろうか。
#ですよね>「大きさは変わらないでしょ」。今の子供はものごころついた時からデジカメやビデオを自分でいじってるので、空間から平面への投影について既に知っているのだと思います。
#子供の頃は、遠くにいる人や太陽(大人は大きいと言うのに!)を指でつまめるというのは、不思議な現象なので、 疑問が浮かぶ土台はあるかもです。(僕はそういうもんだと思っちゃいましたけどね...) > 映像デバイスを見慣れてないとそうは思わない
#実際にはつまんでいないし、はるかに離れてるからつまみようもないと知っているんだけれど、「つまんでいるように見える」と気づくところに一段抽象化があるとは思いますが、片目で見るとそんなに違和感ないから自然にそういうものと思うって可能性もありますね。自分はどうだったか覚えてないです。
#ただ、カメラで撮ることによって実際の遠近とは違って見える、ということは経験として知っているようなので、今の子供ならそっちのルートでもってパースに気づく、というのはありそうかなと。
#僕の場合ですが、そこまで高度な考えはしてなくて、単純に目で見える2次元的な写真のような世界で、遠近の縮尺の違いにビックリという感じです。
#いや、そこで2次元的な写真に「見える」というのは、何らかの方法で獲得された感性なんじゃないかと思うのですよ。あたりまえに皆が皆そう見えるべきものかというと、そうではないんじゃないかと。そうでなければ遠近法が「発明される」必要はなく、人類は洞窟時代から自然に遠近法を使って描いていたんじゃないかな、という気がするのです。
#いつどこで誰が視覚を懐疑することをはじめたんだろうか。
#遠近法が発明された後で、今度はそれを崩す
#透視画法が発明された後で、今度は「人間の認識ってカメラみたいに視点固定じゃないよね」ってことで今度はそれを崩す手法が試みられますよね。面白いです。
#人の目は元々、写ったモノを2次元的に認識してしまうからこそ、それを描写するために遠近法のようなものが生まれたのではと考えてしまいます。。。